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大好きな神戸の街

キャンプブランドのブログで書く話ではないと思いますが、でもいいか、と。

私のことも、色々と検索されているみたいだし、こういった心象風景というのも意味あるのかもしれない。日本で物を作ろうとか、中小の「町工場」というのは、神戸の長田、私の実家、汗と粉だらけのゴム工場。


自分の昔のブログを読んでいて、コロナで行けていない神戸のことを思い出しました。

神戸の長田、灘の街。

5年前に書いた文章です。

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私は神戸生まれ、神戸育ちです。

大学からは東京だけど、自分のアイデンティティは、どこまでいっても神戸。


在日韓国人三世なのですが、自分の「故郷」は、どこ?と聞かれたら、神戸と答えます。

大学になったばかりの時に、家族で済州島に行きました。

済州島には殆ど、毎年行っていますが、その時は、特に気負っていました。「今回、自分が済州島を、故郷と思えるかどうかが自分のアイデンティティには非常に重要なんだ」と。まあ、そういう時期ですね。

結果、もちろん、済州島を故郷と思えるはずもなく。


私は神戸でも、長田です。

そう、震災で燃えつくされた長田です。神戸の長田は、中小の工場ばかりでした。

実家の事業の絡みで、長田の、あの粉が舞い散り、小割の靴縫製工場が並ぶ一角に、よく行っていました。


小学校の傍に、神戸電鉄というのが走っていました。田舎の電車なんですよねー。例の義経が平家を追い落した鵯越の下を行くトンネルを超えると、すぐに下水処理場がある、という感じ。

塾は垂水というところにあったので、兵庫駅から、須磨の海岸を見て、通うの。淡路島もタンカーもいっぱい見える。

中高は、電車で学校まで通っていました。兵庫駅というところから乗るのです。兵庫駅からは「和田岬線」という朝と夕方しか動かないJRがありました。兵庫駅から、三菱重工と川崎重工の工場、造船所まで通勤のためだけの線路ですね。どこか子供にはよくわからない世界だったのです。今は地下鉄まで出来て、INACとかのサッカー場まであるみたいだけど。

そして、兵庫駅から電車にのって、港を見て、住吉駅につく。中高のクラブの練習の終わりは、当然にランニングなんだけど、当時は山口組と一和会が抗争をしていた時で、一和会の幹部の家の前を走るんですよね。警察が守っていて。



そんな神戸が、「故郷」でした。


そして、1995年1月17日がきました。阪神淡路大震災です。

大学を卒業する年でした。

朝、叔父さんから電話があり、「テレビを見ろ!」と。うるさいなー、と思いながらNHKをつけたら、燃えている!神戸の、長田の街が!!

そして、長田のランドマークの実家の工場が横倒しに倒れている映像が!!!

丁度、NHKが始めて長田の方にヘリコプターを飛ばすことが出来た時で、無音で映像だけが流れたのです。すぐに、弟と連絡をとり(弟も、当時、東京で大学生)、車で東京を飛び出しました。名古屋の前あたりから、高速の上は、恐らく応援に駆け付ける警察の車が目立つようになり、関ヶ原を過ぎたところで、もう全く動かなくなりました。その時は、ラジオをつけても、身元が判明したお亡くなりになった方のお名前を読みあがるだけ。本当に長田の絶望的な状況は、既にアナウンスされていましたから、それに朝一番に実家の工場が倒壊している映像を見ていますから、もう親は亡くなったものだと思っていました。連絡がとれたのが、17日から18日に変わるぐらいのとき。みんな、無事。

そして、夜中に琵琶湖大橋をわたり、京都の上から入って、18日の朝早い時間には神戸に入りました。

まだ、交通規制が殆どなく、なぎ倒された阪神高速の、あの国道43号線を走って、神戸に入りました。


「記憶が溶ける」って、ああいうことを言うのでしょう。

中高を過ごしたあの町が、灘の街が。そう、あの建物も、この建物も、みんな潰れ。中高の体育館は、遺体の安置所になっていました。

そして、長田。電気はもちろん、水もこず。燃えて、燃えて。車が渋滞で動かない。何で自分を支えたらいいのか、わからない。膝から崩れ落ちそうになりながら、水道の動かない状況で、必死になって神戸にいた、それからの2か月でした。



この週末に神戸に行きました。実はほぼ月に一度は神戸にいっているのですが、今回は国道43号線をたまたま走ったんです。

あのなぎ倒された阪神高速のところ。

そして、六甲アイランドに行ったんです。あの海になだれ込んだコンテナと、埠頭。


2か月、神戸にいて、東京に戻った地震の後のその晩は、車で走っていても、全てのビルが斜めになっているような、高速の橋げたが落ちているような幻影に悩まされました。




今日、震度4の地震がありました。

あの神戸の街、溶けた記憶と幻影、そして復興。



今でも神戸の街が好きです。そして、私の故郷は神戸です。

私は、韓国人でも、日本人でもなく、「こうべっこ」なんだと思います。


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