ギリシアを統一し、エジプトとペルシアを征服した英雄、アレキサンダー大王。
数々の逸話に彩られる人生でした。
アリストテレスに学び、20歳で即位をし、周辺の反乱を平げギリシアを完全に統一します。そして、当時の世界最大の帝国であり文明国であるペルシア帝国との戦いの口火が切られました。
緒戦を勝ち抜いたアレキサンダー大王は、「この結び目を解いたものがアジアの王になる」と言われたゴルディアスの結び目を、刀で一刀両断。
ペルシア王ダレイオス3世とのイッソスの戦いで勝ちます。そして、エジプトを開放し、ダレイオス3世との最終決戦、ガウガメラの戦いで勝利。
バビロンに入城し、ペルシアとの統合を果たします。

そして、次はインドへ向けて征服の旅を続けるのです。
ただ、ガンジス川まで来たところで、流石の厳しい遠征の連続についてこれない部下達の声を聞き、バビロンへ引き返すのです。
しかし、そのすぐ後に高熱にうなされ、32歳の生涯を閉じます。
ギリシア・エジプト・ペルシアの3つを統合した12年間の統治でした。
アレキサンダーの英語名は、イスカンダル。これが日本語になって韋駄天、ともなります。
さてさて、なぜ、テント?
アレキサンダー大王の人生の最初と最後(実質的な意味で)の舞台はテントです。
アレキサンダー大王が、生まれたのはテントの中です。
そして、ガンジス川まで来たところで、部下達に諌められたアレキサンダー大王はテントの中で3日間考え、苦しみ抜き、バビロンへの帰還を決断します。
テントの中で生まれたので、やっぱり軍旅の途中だったのでしょう。
この時代のテントは、野原で幕が並んでいる、というものではありません。
設営をすると、水路を堀、櫓を周囲にたて、道路の場所を決めて、将校用のテントは柱を切り出して幕をかけていたようです。
設営、というよりも、土木工事ですね。
何万人もの人が、集まって生活をするわけですから、一つの街が生まれる感じだったのでしょう。おそらく。アレキサンダー大王のテントは、幾つもの部屋に別れていたぐらいのものだったのではないでしょうか。
見てみたいなあ。