資本の暴力性

次回は、必ずキャンプネタを書きます。脇道にそれるのは、これで一旦、終わり。

物を作り、そのお話を紡いでいくのって、素晴らしいと、今は深く思っています。

アルケゴスの話に続いて。

私が以前に書いた文章の加筆修正。

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私は今までに3回の「バブルの崩壊」を、目の当たりにした。

最初はアジア経済危機、次がドットコムバブルの崩壊、そしてリーマンショックである。

アジア経済危機

アジア経済危機は、1997年に韓国、タイなどで発生した各国通貨の暴落である。当時、私はボストンコンサルティンググループ(BCG)で若手のコンサルタントとして働いていた。BCG東京の先輩で、私を可愛がってくれていた先輩が、97年の夏前にヘッドハンティングされ、サムスンの商社部門に転職をしていた。当時のサムスンは今の電子関連での巨人という存在ではなく、自動車もやれば、金融もやり、商社もやる、何でもやる財閥だった。その先輩は、BCGでの戦略コンサルタントとしての腕も見込まれ、サムスンの商社部門で中央アジア、東南アジアなどへの投資を統括するポジションに引き抜かれたのであった。しかし、転職直後にアジア経済危機が発生。韓国ウォンが暴落した。韓国ウォンが暴落するということは、国際投資において、サムスンの持っているお金がどんどん減っていくという事を意味する。その先輩は、転職をしたばかりにも関わらず、すぐに様々な契約不履行の後始末に駆け回り、そしてその暫く後に解雇をされてしまった。1998年に再会した時に、東京の丸の内の立派で豪華な高層ビルが立ち並んでいる中で食事をしながら、「国自体が崩壊する、家族が崩壊する、そういった時だ」という事を聞いたのを覚えている。この時は、立派なオフィスで大企業相手にコンサルティングを行っていて、評価もされていた私には、この先輩の話は何か別の世界の話にしか聞こえず、実感がなかった。

ドットコムバブルの崩壊

ドットコムバブルの崩壊は、2001年である。その前2年間、インターネット関連事業の急速な進展があった。日本でも「ベンチャー」が上場するという流れが生まれ、いきなり億万長者になる起業家が生まれ始めていた。その熱狂的な雰囲気の中で、2000年に私は、BCG東京の代表で、メディアでも有名でカリスマ的なコンサルタントであった上司に誘われ、ハンズオン型のベンチャーキャピタルの設立に役員として参加をした。ドリームインキュベータ(DI)という会社である。DIを作った時には、その上司などは「あんな若造達が自分たちの何倍も稼いでいる、自分たちがやれば、もっと稼げるはずだ」と言っていた。会社を設立する書類に、5名ぐらいで捺印をした時の興奮した雰囲気は今でも覚えている。DIには、ソニーの当時のCEOも取締役として参加してくれた。また、当時のシリコンバレーで最も代表的なWEB構築会社でありNASDAQの株式指標の一つとしても採用されていたSapientという会社も資本参加をしてくれた。勿論、私も出資をした。順調に立ち上がり、2001年にはNTTドコモを始めとするコンサルティング事業のクライアントにも出資をしてもらった。しかし、2001年の夏には株価が大幅に下がり始める。そして、2001年9月11日には、アメリカ同時多発テロ事件が発生する。その中で、DIは無理やりに2002年春には、東京証券取引所に上場をした。しかし、株価は低迷を続け、出資をしてもらったコンサルティング事業のクライアントは、軒並み減損処理を強いられた。提携先だったシリコンバレーのSapientは見る影もなくなり、一緒に作った東京オフィスも閉鎖。一緒に働いていた人達はほぼ全員解雇された。DIはBCG時代からのクライアントに対するコンサルティングとVC事業の二本立てを行っていたため、コンサルティング事業で収益は確保できていた。ただ、株価は低迷をし、その全員が株主であった経営陣(私も含め)の中の雰囲気は必ずしも良くなかった。たった2年で上場を果たすという快挙を成し遂げたのだが。

おそらく、この時、私は、自分達の力だけではどうにもできない、資本市場というものの暴力性、その巨大さを実感してしまったのだと思う。

リーマンショックの到来

その後、大企業相手のコンサルティングを引きずり、新しい革新を生んでいこうというベンチャーの世界への文化の移行ができない他の人達との違和感がぬぐえず、DIをやめて自分で会社を始めた、DIに出資をした株が、低迷したとはいえ上場したことにより一定の資産になっていた。

独立して始めた私の会社は、証券化の波にのった。あっという間に成長をし、たった1年半で東京証券取引所に上場を果たした。時価総額も1000億円を超えた。そして、従業員も1000名を超える規模まで増えていく。不動産の証券化が事業の中心であった。運営する不動産ファンドの規模も5000億円を超えて成長をしていた。子会社で運営していたREITも更に東京証券取引所に上場をした。証券化、ストラクチャードファイナンスの市場は大きかった。北京の最大の開発の一つであったHuamao のオフィス部分を取得するファンドを組成もした。このファンドは、その後、香港の証券取引所に上場を果たした。

それまでは考えられないような先端的な取り組みを行っていた。将来債権に格付けをとり流動化する、不動産アセットローンを何段階にもトランシェをわけ流動化する、家賃支払いのタイムラグの立替払いを流動化する。こういった事を担当していたストラクチャードファイナンス部門の若手エース達は、想像できないような高給を受け取っていた。

そして、2008年がやってきた。発生し始めた時は、全く何のことだかわからなかった。そして、2008年の1年間をかけて、日本の証券化に関して上場していたベンチャー企業のほぼ全てをなぎ倒してしまった。あっという間の猛烈な出来事だった。


その後

その後、311があり、今はコロナ。311とコロナの間に、ブロックチェーンの話に関わり、追い出されたりもしてた。

昔、経済学には「恐慌」という学問分野があった。今は昔の定義での「恐慌」は起きない。その代わりにショックが5年おきに起きている。

そして、それが、終わる度に「エクィティ」というのが、化物みたいに凶暴化する。


おかしい。

PER10倍が平均だったら、PBR1.5倍が平均だったら、こんな貪欲すぎることは起きないはずだ。加速度的に、貧富の差が開いていく。


過去100~200年かけて作ってきた色々なものが壊れている。 労働と賃金の関係はどうなった?個人事業主、というのは、植民地支配そのものでしかない。 社会との繋がりを維持するための様々な仕組みはどうなった? 丁寧でバランスのとれた取材と知る権利の歩みはどこにいった?

企業に対して利益額より、成長率とニュースが、いつまでたっても重視されるのが、本当におかしい。

デッドで構築したエクィティを担保にデッドを調達して、エクィティを膨らませ、そのデッドがさらにエクィティに分化するのが、さらにおかしい。

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