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資本がなぎ倒していく力、スワンテイル

更新日:2021年10月22日

次回は、必ずキャンプネタを書きます。脇道にそれるのは、これで一旦、終わり。

物を作り、そのお話を紡いでいくのって、素晴らしいと、今は深く思っています。

アルケゴスの話に続いて。

私が以前に書いた文章の加筆修正。

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私は今までに3回の「バブルの崩壊」を、目の当たりにした。

最初はアジア経済危機、次がドットコムバブルの崩壊、そしてリーマンショックである。

アジア経済危機

アジア経済危機は、1997年に韓国、タイなどで発生した各国通貨の暴落である。当時、私はボストンコンサルティンググループ(BCG)で若手のコンサルタントとして働いていた。BCG東京の先輩で、私を可愛がってくれていた先輩が、97年の夏前にヘッドハンティングされ、サムスンの商社部門に転職をしていた。当時のサムスンは今の電子関連での巨人という存在ではなく、自動車もやれば、金融もやり、商社もやる、何でもやる財閥だった。その先輩は、BCGでの戦略コンサルタントとしての腕も見込まれ、サムスンの商社部門で中央アジア、東南アジアなどへの投資を統括するポジションに引き抜かれたのであった。しかし、転職直後にアジア経済危機が発生。韓国ウォンが暴落した。韓国ウォンが暴落するということは、国際投資において、サムスンの持っているお金がどんどん減っていくという事を意味する。その先輩は、転職をしたばかりにも関わらず、すぐに様々な契約不履行の後始末に駆け回り、そしてその暫く後に解雇をされてしまった。1998年に再会した時に、東京の丸の内の立派で豪華な高層ビルが立ち並んでいる中で食事をしながら、「国自体が崩壊する、家族が崩壊する、そういった時だ」という事を聞いたのを覚えている。この時は、立派なオフィスで大企業相手にコンサルティングを行っていて、評価もされていた私には、この先輩の話は何か別の世界の話にしか聞こえず、実感がなかった。

ドットコムバブルの崩壊

ドットコムバブルの崩壊は、2001年である。その前2年間、インターネット関連事業の急速な進展があった。日本でも「ベンチャー」が上場するという流れが生まれ、いきなり億万長者になる起業家が生まれ始めていた。その熱狂的な雰囲気の中で、2000年に私は、BCG東京の代表で、メディアでも有名でカリスマ的なコンサルタントであった上司に誘われ、ハンズオン型のベンチャーキャピタルの設立に役員として参加をした。ドリームインキュベータ(DI)という会社である。DIを作った時には、その上司などは「あんな若造達が自分たちの何倍も稼いでいる、自分たちがやれば、もっと稼げるはずだ」と言っていた。会社を設立する書類に、5名ぐらいで捺印をした時の興奮した雰囲気は今でも覚えている。DIには、ソニーの当時のCEOも取締役として参加してくれた。また、当時のシリコンバレーで最も代表的なWEB構築会社でありNASDAQの株式指標の一つとしても採用されていたSapientとい