私の母の話

私の母は74歳です。

結構、普通といえば普通、数奇といえば数奇な人生を歩んできました。

そして、去年の11月に、74歳にして牧師になりました。


キリスト教のプロテスタントの牧師というのは、カトリックの神父よりは、なることが難しくないかもしれません。ただ、それでも、神学校に通い、論文を書いて認められ、正式に「按手礼」というイベントを経て、やっとなれるものです。

また、若くして牧師を目指し、30歳代で牧師になるとかというのは非常に自然な形ですが、74歳という年齢で、牧師になるというのは、非常に非常に珍しいです。


数年前に、母親は、ソウルの神学校まで毎月、通っていました。それを聞いて、思わず「えっ、ママ、何やってるの?」と私が言ってしまったほどです。びっくりしました。


そして、今は、教会で礼拝を行ったりもしています。

クリスチャン的な言葉としては、「本当に神のなさることは、驚きばかりである」とでも言うべきでしょうか。今の母は、本当に若々しく、エネルギーに満ちた毎日を送っているようです。

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母は、韓国で生まれました。

私の母方の祖父は、昔は非常な有名人でした。ソウル帝国大学(ということは日本の占領下)に入学し、解放後、すぐにソウル大学の大学院で博士号をとりました。文学博士です。

まだまだ当時の韓国では、文学をやる人の社会的地位が高かった時代です。

そして、ソウル大学の大学院の総長を若くして務めたりもしていました。

ただ、祖父は、李承晩政権(軍事独裁)の時に、李承晩の誕生日に、請われるがままに詩を書いたりしちゃったんですね。その後に大学紛争などが起き、李承晩政権も倒れた後に、祖父は大学を辞めざるをえなくなりました。

そんな祖父を、大阪外国語大学(司馬遼太郎が教授をしていた頃!)が教授として招いてくださり、祖父は大阪にきました。その時、中学生だった母も、一緒に大阪にきました。


そして、母は大阪で高校に行き、奈良女子大学に行き、卒業してすぐに、私の父と結婚をしました。私の父は日本生まれ日本育ちです。父方の祖父が、戦前に済州島から大阪にきて、神戸で商売をしていました。父方の祖父は、「大阪で学校に行くから」と言って、村中の人からお金をもらって大阪にきました。そして学校にはいかずに商売を始めました。神戸の長田の下町で工場をやっていました(要はガラが悪い)。戦争中に軍需工場をやっていたみたいですが、どうやって植民地の人間が軍需工場をやれたのか、私にはわかりません、というか想像したくない。


戦争中から戦争後の在日なんて、本当にちゃんとした職業にはつけませんでした。自分で商売をやるか、という道はあったみたいですが。だからエリート学者の娘が、神戸の長田の工場主(要はガラが悪い)の跡取りと結婚するのは、まあ、異文化遭遇ぐらいの勢いだったんだと思います。ましてや、済州島です。今の済州島は、リゾートみたいな雰囲気を漂わせたりしていますが、基本的には、征服された島です、流人の島です、モンゴルの馬の牧場です。日本に来なかったら、済州島の人と結婚するなんて想像もできなかったと言っていました。

そして、父の母は、これまたもう「お寺の先生がどうだ」「高野山がなんだかんだ」という人でした。長男の嫁は服従するしかない環境です。おまけに、お正月とかは、親戚中(祖父を頼って、済州島から来た親戚とかが多かった)が集まるので50名ぐらいの食事を準備しないといけません。


子供が三人産まれて、上二人は灘中、三番目の娘は神戸女学院に行き、さらに上から東大と早稲田に行く、という状況で、ちょっとは神戸の一族の中で立場もできたみたいですが、それでも長男の嫁は服従するしかない、という立場はあまり変わりません。一番、期待されていた上の息子(私)が、BCGを辞めてまで神戸に戻って、会社の跡を継ぐ、それもいきなり業績を出し始めました。それなのに、たった2年で創業者の祖父とぶつかって、飛び出して東京に戻っちゃう。

「お前はどんな教育をしたんだ(服従しろ、という教育なんて受けるわけないでしょ、と私は思う)」と祖父に高圧的に言われて、母は過呼吸で救急車で何度も運ばれたらしいです。

結果、母は数年間(実質的に祖父が亡くなるまで)東京で避難して暮らしていました。その時に、時間ができたので、教会に本当に本当に長年ぶりに行ったのだと思います。小さい時以来、というものでしょう。

祖父が亡くなって暫くして、母は神戸に戻ったんだと思います。当時、私も忙しく大変で、このあたりの母のことをあまり知りません。2008年にリーマンショック等があり、私が色々なものを殆ど全て失いました。その後、数年が経過して父親が膵臓癌になりました。2009年ぐらいからは、私も少しは、神戸に戻ることもあり、母とのやりとりも少しは復活をしました。

父が亡くなってから、母は、時間がより出来るようになり、神戸東部教会に顔を出すようになっていたようです。神戸東部教会というのは、日本のプロテスタントの教会の中では、非常に活動的な教会の一つです。神戸東部教会から、大阪の西成にボランティアで通おう、というのがあったようで、それに参加したようです。


大阪の西成、、、そうです。ドヤ街です。大阪名物というかなんというか。

私は大学の頃に山谷(東京の西成みたいな場所)の炊き出しとか参加していましたから、想像はつきます。その場所にあり、礼拝の度に食事を出して振る舞う教会、というのは、本当に恵まれた働きをしている教会です。

その教会に、神学校が併設されたいたようです。ただ、神学校といっても校舎があって学生がいて、というものではありません。狭い古い傾いた床の教会で主任牧師の先生に教わる。生徒は1名か2名。それに行き始め、そしてその教会の繋がりの韓国の神学校に入学をしたようです。月に1回、ソウルまで飛行機で通って(確かにコロナ前のソウルまでの飛行機代は激安だった)、1週間授業を聞く、ということをやっていました。


そして、74歳にして卒論を書き、牧師になる。

去年の11月に、牧師の按手礼(任命式みたいなもの)に出てきました。

西成の教会は、本当に西成の中心近くにあり、古くて、素朴でした。信徒の人たちによる讃美歌の合唱も、綺麗ではなく、丁寧でもなく、大きなダミ声で、ただ生命力に満ち溢れていました。

そして、母が牧師として「説教」をしていました。自分の知っている母とは違う、「牧師」がそこにいました。


神の導きの何と尊いことか。

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