東京大学の最初の2年間は、専門の学部ではなく、「教養学部」というところに、理系・文系を問わず所属をします。
それで、一般教養とやらを学ぶ。流石に、理系と文系で共通の講義はあまりなく、文系は文系らしい、理系は理系らしい講義でした。
私は、文化二類でした。文化二類は、経済学部への進学を前提としています。クラスは文科一類(法学部進学を前提)と文化二類が一緒のクラス。だから、教養学部でとれる講座は、法学や経済学につながるものが多かった記憶があります。
ただ、文学系の講座もある程度、とれました。
私が、とった中で、鮮烈に印象に残っているのが「ユートピア論」という講座です。芳賀徹という教授の講座でした。芳賀先生は、比較文化の大家で、私が大学1年生で授業を受けた時は、東大を退官する(定年)前の最後の年でした。東大退官後は、京都造形芸術大学の学長とかを歴任されています。この先生は、結構、ダンディな先生だった印象があります。
大学一年の時は、割と早くから授業はあまり出なくなり、テニスサークルと合コンと、神宮球場での阪神タイガースの応援ばかりしていたのですが、この芳賀先生のユートピア論は、しっかりと聴いていたなあ。教官室まで押しかけて、お話をお聞きしたことも何度かありました。
さて、ユートピア。
ユートピアって、「どこにも無い場所」って意味なんです。
トーマス・モアという人の「ユートピア」という小説から始まると言われています。
代表的なユーロピア小説としては、「ガリバー旅行記」とか、「太陽の都」とか。
流石に、授業では、マルキ・ド・サドの「ソドム120日」は読まなかったような気がするけど。
ただ、こういったユートピアって、日本の我々が考える理想郷では無いんです。
閉ざされた空間において、管理され、人工的で規則的な世界を、描き出す。合理的で、冷たい社会です。絶対に住みたく無い。
「ガリバー旅行記」は、小人の国、巨人の国、ラピュタ、馬の国という4つの章から成り立っています。その中で、ラピュタが最も「ユートピア」的だと言われています。宮崎駿のラピュタと、ガリバー旅行記のラピュタは全く雰囲気が異なるんですよ。
ラピュタは、圧倒的な力を持つ「首都」。全市民は、みんな科学者で賢い。だけど、常に計算とかのことばかり考えているから、上の空で、誰かに助けてもらわないと実生活のことは何もできない。
理想郷=合理的で規則正しくて、無知から開放されている平等社会
という設定だったのですね。
そして、このユートピア論の講義の山場は、実はこういったヨーロッパのユートピアを概観するところではなく、西欧のユートピアと、アジアの桃源郷を対比したところにありました。
西欧のユートピアは、合理と科学。
アジアの桃源郷は、詩、読書と釣り。
狩りじゃなくて、釣り、というのが桃源郷なんだ、と何度も芳賀先生は言っていました。
能動的なものではなく、受け身でいいんだと、伝えられました。
桃源郷は、陶淵明の詩に始まる概念です。
西欧のユートピアは、悲惨な管理社会をもたらし、理想では無くなった。
人間の努力で築き上げる、頭で考えた社会を描き出し、その小説が現実のものとなり、極度に統制のとれたルールだけで動く社会の悲惨さは20世紀の幾つもの事例に落ちてしまった。
桃源郷は、思うからいけるところでは無い。再訪はできない。それは一人一人の心の中にある、と陶淵明は詠む。
世界中を旅してきたけど、日本の白樺の林の中でキャンプをし、妻と一緒に焚き火を眺めること以上の幸せは無かったからなあ。
はじめまして、スノーピークのファンダメンタル分析をやっていてこちらのブログにたどり着きました。課題の〆きりが本日ですが、他のブログも面白くつい読み進めてしまっています。😊