ペテルブルグのこと

一番、最初にペテルブルグに来たのは、ボストンコンサルティンググループでの濃密な3年間を過ごしたあと、3ヶ月ぐらいの一人旅をしていた時だった。

新潟からウラジオストックに飛び、そこからシベリア鉄道に乗って、モスクワを見て、ペテルブルグに着いたのだった。


シベリア鉄道で、同室になったおじさんは、スターリンの時にウクライナからシベリアに流された人だった。いきなり、二人部屋の個室の扉から頭を出して、左右を確認したかと思うと、ガシャッと鍵をかけた。ビビった私に、でも出してきたのはウォッカだった。何てことない安っぽいウォッカだったけど、そのおじさんには貴重な高価なものだったんだろう。飲みながら、やっと帰れる、と泣いていた。あの時の私はロシア語が全く喋れなかったのに、意思疏通が出来たのは何故なのか。

本当に遅いシベリア鉄道の窓から眺める森は、荒れていた。


1998年の事だった。


あの時のモスクワは酷かった。ソ連が崩壊し、3月の寒い街角では、老人の方々が物乞いをしていた。店には商品がなかった。私が止まった、恐らく当時のモスクワで一番に高価なホテルのダイニングでは、アクビをしている退屈そうなアメリカのビジネスマンに、ブランド品を扱わせてくれ、と売り込んでいるロシアの女性がいた。


そしてペテルブルグの聖堂。帝政ロシアの都だった、ロシアで考えられる限りの華やかな街。しかしモスクワと同じく色褪せていた街。その聖堂で、私はイエス様にあった。違う。一人のお婆さんにあった。その人は、聖堂の中で、私に言ってくださった。「あなた、わかる?神様っているのよ」。本当に幸せな顔で。聖堂の中に光があった。


冷戦に負け、国が崩壊し、社会が潰れていた。

そして、礼拝に行くのを止めていた権力もなくなった。

人は再び、教会に足を運び、神の赦しを得た。


その20年近く後、2016年の夏の日曜日、私はペテルブルグの、その聖堂で礼拝に出ていた。1998年、私は無神論者だった。一人で、強く、金持ちではあった。2016年、私はクリスチャンで妻と子と一緒だった。そして幸せで、イエス様の力を感じていた。


ペテルブルグは、アジアであり、ヨーロッパであり、都であり、革命が起きた場所であり、あのナチスによる苛酷な包囲殲滅戦を経験した都市である。

そして、私に神を信じる力を与えてくれた都市である。

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